平和の園とは

平和の園の誕生

平和の園 エントランス

私(平和の園の施主 皆田正明)より2歳年上で、安田高等女学校の1年生だった姉の俊子(としこ)は、昭和20年(1945年)8月6日の早朝、動員学徒として広島に行って、原爆にあい、わずか12歳の若さで、非業の死を遂げました。その悲しみは、72年の歳月をへた今も、決して消えることはありません。

私は、「このような悲劇をもたらす原爆――戦争を、どんなことがあっても二度とくりかえしてはならない。」と心に誓いました。そして、悪魔の兵器ともいうべき原爆で、まだ幼い姉の命を無残に奪われた――この断腸の悲しみが、いつまでも、私の脳裏から薄れることがないよう歌に託して遺しておこうと思い、深い感銘を受けた 峠 三吉氏の詩「にんげんをかえせ」に、作曲いたしました。

しかし、いくら嘆き悲しんだとて、亡くなった霊を、元に戻すことはできません。悲しみをのり越えて、恒久平和実現をめざし、夢と希望に満ちた明るい未来を築くことこそ、戦禍に散り、平和の礎となった御霊への何よりの供養になると確信し、この平和への思いから「平和の鐘」が作曲され、ここに、これらの歌碑を配した、平和の園 Garden of Peace 誕生のもと――骨格ができあがったのであります。

園内には、私が作詞作曲した「折鶴の歌」、「平和の鐘」の歌碑以外にも、故 峠 三吉氏の「にんげんをかえせ」、多和田 さち子女史の「あなたに会えるまち」、岡野 正義氏の「平和の園」の歌碑がありますが、これらの歌詞にも、私が曲をつけさせていただきました。

現在、平和の園があるのは、ひとえに、このすばらしい立派な歌詞を作られたお三方のお蔭であるといっても過言ではなく、心から深甚な敬意と満腔の謝意を表する次第であります。

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平和への思い

― 平和への思い ―

自然豊かな白木町の風景(三篠川)

今日、私たちは、戦後の驚異的な繁栄により、その豊かな生活の恵みを、さも当然のように享受していますが、この繁栄のかげには、戦争による多数の犠牲者と、戦後の苦難に満ちた復興へのたゆまぬ努力があったこと、戦後長期間平和が続いたおかげであることを、決して忘れてはなりません。

しかしながら、戦後72年もたった今日では、原爆で被害を受けた人や物が少なくなり、原爆の悲惨さを、戦争を体験していない次世代に伝えることがきわめて困難になってきました。 さらに加えて、私たちの平和の尊さに関する認識が、時とともに、次第に薄れつつあることは、誠に遺憾であり、わが国の将来に一抹の不安さえ感じさせます。

私たちは、原爆により未曾有の戦禍を受けましたが、原爆を落としたアメリカに報復しようとはしませんでした。 日本は、戦争を深く反省し、軍国主義の国から、恒久平和を、世界のどの国よりも、切実に希求する平和主義の国に変身したのです。

報復を、国を守る口実にしては、なりません。 報復は、真の平和をもたらしません。 新たな憎しみと報復を生み、やがては、これが戦争の火種になり、お互いの国を荒廃させる愚かな行為であることを、私たちは、知らねばなりません。

私たち人間の世が、今後も、末永く続くことを望むならば、沢山の生命や財産を奪い尽くす愚かな戦争を、いかなるときも、決してしないという、強い意志が、私たち一人ひとりになくてはなりません。

― 私たちに課せられた使命 ―

平和の象徴「ハト」の像

戦後、72年、―― 戦争、なかんずく、原爆により受けた未曾有の悲惨な体験さえ、風化しつつある中で、平和憲法が改正されようとしている今日においてこそ、戦争により受けた惨禍を、厳しい教訓として、平和の尊さを自覚し、戦争を避け、恒久平和実現に向けて、たゆまぬ努力をすることは、現在を生きる私たちに課せられた最も重大な使命ではないでしょうか。

この使命を果たすことこそ、戦禍に倒れ、平和の礎になられた御霊への何よりの供養になると、私は、確信いたします。

ところが、遺憾ながら、私たち人間は、性懲りもなく、今までに何度も戦争の歴史をくりかえしており、ついに、史上最悪の核兵器をつくり、これが、広島、長崎に落とされ、今や次々と、より強力な核兵器が開発、増産されて、人類存亡の危機さえ生まれてきました。

ここに至って、私たちは、世界の平和、恒久平和実現のため、なにがなんでも、核廃絶を!と口ぐせのように叫び、国連を中心とした平和運動を懸命に展開してきました。 けれども、その成果は、残念ながら、まだ、決して、これで十分とはいえない状況です。

― 平和の根源は、私たちの心の中にある ―

しかし、核兵器をつくったのが人間ならば、使用するのも人間です。 戦争か平和か、――その鍵を握っているのは、まぎれもなく、私たち人間です。 悪いのは、核兵器そのものではなく、もっともそうな理屈をつけて、これを使用しようとする人間の利己的な心の中にこそ、諸悪の根源が、ひそんでいるといわねばなりません。

それゆえ、恒久平和は、ただ単に、兵器を廃絶するだけでは、決して達成できないと知るべきであり、私たちは、平和の根源は、私たち一人ひとりの心の中にこそあることに、気づかねばなりません。

― 愛は、地球を救う。 ―

人類の将来をになうべき、戦争を体験していない若人たちにとって、戦争の悲惨さを通して、命の大切さ、平和の尊さを学ぶこと、――平和学習は、単に知識を得るための教育ではなく、人間愛に基ずく心の教育こそ、恒久平和実現の基礎づくりとして、最も重要かつ切実な課題ではないでしょうか。

私たちは、人類の悲願である真の平和――恒久平和は、人間愛に基づき平和を願う世界中の人々の、心の底から湧き出る英知によってのみ、達成されると知るべきであり、これこそが、全人類が未来永劫、共存共栄し得る、唯一の道ではないでしょうか。

愛こそは、人類を破滅から救うのです。 けだし、「 愛は、地球を救う。」 は、名言です。

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平和の園は、愛の花園

平和の園に咲く花々

平和の園は、正に、人間賛歌の――人間世紀の愛の花園であります。それは、実は私たちの心の中にこそあるのです。

恒久平和は、世界中の人々が、お互いに不戦を誓い合い、相互扶助の愛の絆で結ばれて、夢と希望に満ちた未来が共有できてこそ、実現可能ではありますまいか。そのためにこそ、人間賛歌の――人間世紀の平和の園はあるのです。

四季折々に咲く草花や音楽、……それをこよなく愛されるあなた! あなたの慈愛に満ちた、その清らかで美しい心こそ、きっと、世界を真の平和に導く原動力になるに、相違ありません。

美しい草花の中にある歌碑や歌を通して、戦禍に散った人々に思いをはせ、命の大切さ、平和の尊さを実感し、合掌して冥福を祈るとともに、全世界に、くまなく、平和の鐘が鳴り響く日が一日も早く訪れるよう、祈ろうではありませんか。

今日、私たちは、戦後の驚異的な繁栄により、その豊かな生活の恵みを、さも、当然のように、享受しています。

けれども、私たちは、その繁栄のかげには、戦争による多数の犠牲者があり、多大な戦禍を受けながらも、復興へのたゆまぬ努力をされた人々のおかげであることを、肝に銘じ、平和で夢と希望に満ちた未来を築くため、あらゆる努力をすることを、今ここに、戦禍に倒れられた御霊の前で、誓いたいと思います。その証として、平和の園が、未来永劫、存続するよう切望し、祈念するものであります。

どうぞ、戦争の犠牲になられた英霊の皆様、心安らかにお眠りください。
そして、天国から私たちをお見守りください。


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